覚醒
死とは公平だ
0歳の新生児であろうと120歳の老人であろうと
人間にとっての死はある日、ある瞬間、前触れもなく訪れ
それまでその人が積み上げてきたものを「無」にする。
死とは公平だ
突然、全てが無くなる。
そんな死をわりと身近に感じ一昨年の12月
もうすぐクリスマスだっていう憂鬱な時期に親父が死にかけた。
夜7時くらいに飼い犬のモモとお散歩中、青色の横断歩道を渡っているときに
運送会社○マト運輸のトラックに轢かれた。
見た目には大したことなさそうだったが
頭を強く打ち脳機能が破壊され脳死寸前だった
住んでいるのが糞田舎でまともな病院が無く、運ばれた病院の当直医がたまたま脳外科の先生だったので救われたが、もし違う日だったらそのまま死んでたっぽい。
事故から数時間後、緊急手術を終えて集中治療室の上に横たわっていた親父は
無意識の世界の住人になっていた。
目は開いているが自分でなにをやっているのか分からないような状態で
拘束帯をつけられベッドに寝かしつけられている様は
まるでテラフォーマーがゴキブリほいほいにでもつかまったかのような光景だった
これが親父・・・
冗談だろ
おいおい・・・
とりあえず生きていてくれて安堵したが
この状態がこの先、何十年か続くのかと思うと目の前が真っ暗になった。
事故から1年が過ぎ今は幸いなことにリハビリも上手くいき、脳機能もかなり回復した。当初は高次機能障害で介助が必要な事態も覚悟するようにと言われていたが
ずっとそばにいて介助や介護が必要なわけではないまでになった。
本当によかった。
ただ
事故発生から親父が死に掛けて俺はずっと後悔していた。
オレ自身に、だ。
一応、ひとなみに生きてきた
職業も調理師→地方公務員と回り道をしたが人並みの職業にもついた
だがオレは腐っていた。
世の中の全てを憎んでいた
世の中の全てを否定したかった
なにより自分自身が嫌いで嫌いで辛かった。
理想の自分と現実の自分が乖離しすぎていて酒や暴飲暴食に走り腐るしかなかった。
ギャンブル競馬にあけくれたまに大勝ちして金にしか興味が無い太鼓持ちを連れて街を練り歩き、女を買う。
それが全てだと思っていた。それでいいと思っていた。
だが実際に父親が死ぬ、という急なお知らせの前でそんな価値観は容易に吹っ飛ぶ
まるで夏の日の朝みたいに夜の帳は騒々しく惰眠に別れを告げた。
久方ぶりに鏡を見た俺の前には
長い暗闇の中ですっかり錆付いてしまった33歳のオッサンがいた
ニキビ面で100kg近いデブで目だけが異様にギラついていて
虚栄や欺瞞に満ちている
空想・妄想・罵詈雑言の匿名掲示板で
あたかもなにかをやり遂げたかのように振舞う人々のムレ
頭の悪い野生化した家畜、猪になった豚
率直な意見としてそれがオレの全てだった。
これではダメだ
俺は走り始めた。
通勤、オヤジのリハビリ病院の道すがら
毎日走った。
食い物も炭水化物を抜いて元調理師の腕をいかし
野菜と炭酸水だけの生活を3ヶ月続けた結果100→70kgになった。
1ヶ月10kg落ちたのね
すげー脂ののった豚だったわけブヒヒ
最初はリハビリ病院の看護師さんたちの反応も
ランニングウェアを着た豚程度だったが
その内、ランニングウェアを着た犬程度まで進化し
最終的にちょっとした名物になっていた。
悪い気はしなかった。
とりま外見は人並みに慣れたのかな
それがはじまりだった。